我が地域が「山陰海岸ジオパーク」として世界認定されて以来、地元では自分たちの住んでいる町やその周辺のあらゆることを再認識する活動が盛んだ。それは、地質や地形その成り立ちはもちろん、やがてそこに人が営み、自然との共生を重ねて現在に至るという、人と地球(ジオ)との関係を顧みる遠大なロマンでもある。テーマは遠大だが結構ネタは身近にあって、現在我々が食している山海の恵みや周辺の温泉なども、当地ならではの特色が色濃く反映する「ジオの恵み」なのだ。それを改めて知るのもまた楽しからずや、ということか、、、。
その一環で、地元を再発見する講座「ジオカフェ」がこれまで数回開催されていて、コーヒーカップ一つ持参するだけで気軽に参加出来るとか。昨日は「昔の香住絵図を紐解く」というテーマで開かれるのを聞き、かつて「歴男」(ただし幼少期・笑)の血が騒ぎ(笑)初参加させて頂いた。
我が地域は遺跡や古墳なども多く発見されていて歴史自体はかなり古い。しかしいかんせん史料が少なく、中々「点」が「線」とならないのが難しいところ。歴史はよく推理ゲームに例えられるが、それは事実を伝える史料や証拠品が多ければ多いほど真実に迫れるが中々それが許さない。所々抜け落ちた部分は「推理」で埋めるという作業だからだ。
さて、今回の講座は「昔の香住絵図」がテーマ。

この絵図は地元では誰もが一度は目にしたことがあるお馴染みの物。
天保年代(1830年代)に描かれた物で、一般的には「当時の香住」の地図と言われている。そう思われる理由は色々あって、細かく記載されている地区名が現在の物と符合していることや、既に無くなっているものもあるが、現存する神社やお寺がリアルに載っているところが安直に現代とのつながりを感じさせるからだろう。しかし、細かくこだわって見ていくとおかしな点ぱかりだ。例えば、現在の一日市地区。城山部分が離れ島になっているところ。「昔は陸続きじゃなかった」とはよく言われることだが、高々200年前に離れ島だったなどとは到底考えられない。いくら地殻変動で土地の隆起があったとしてもそんなことは太古の話のはず。それに「一日市」と記載されている上部「神岬川」とあり、そこに「ワタシ」と書かれてその奥には船を表すイラストもある。相当な川幅があったらしいが今の香住谷川の規模を見ても同等のものとは考えにくい。確かに現在我が店のある辺りは「字塩入(アザシオイリ)」と呼ばれ、向かい側は「字浜田(アザハマダ)」と呼ばれる。海に注ぐ大きな河口があった名残の地名かと思われるが、200年前なら地形はほぼ現在の通りと考えるのが妥当だろう。

これはボクが中学時代「郷土史クラブ」で製作した香住の昔話を集めた冊子に付録としてつけた「昔の香住絵図」
よくよく見ると最初に示した絵図と微妙に違う。昔はコピー機などなかったので別の人が書き写したのか、書き写す上で自分なりの知識で加筆したり修正したりしたのかそれは不明。で、下図のタイトルには「壱千年以前」とある。つまりこの絵図は『天保年代に「千年前の香住」を想像で描いた』絵図だということ。で、当時の人間の「千年前」という感覚はどれほど正確か?1000年前と区切る根拠の有無は不明だが、当時の時間感覚や歴史認識を思えばかなりアバウトなのではないか。「大昔はなぁ、、、」という程度のもの?とすれば、当時言い伝えられていた大昔話を想像で描き、その上に当時の集落名とだいたいの位置を示した程度の物と考えるのが妥当ということになろう。
中学時代、先生から「1000年前は、、、」との解説があったのかも知れないが、今の今まで安直にミスリードして来たということだ。とにかくこの絵図は、当時を伝える貴重な物でも何でもなく「大昔はこんなだったらしいで」ぐらいのノリで描かれた超アバウトな「絵図」であることをようやく知った。それだけでも大きな収穫だったと思う(笑)。
次回のジオカフェは来月14日。香住区中央公民館。My Cup+200円。
ここ周辺の地質的ルーツ「最新情報」を解説して頂きます。