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list マゼール逝く

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崇拝する指揮者、ロリン・マゼールがこの世を去った。

彼についてはこの日記に再三登場しているので詳しい紹介は無用と思う。
1930年生まれ。日本的に言えば昭和5年生まれ。

亡くなる直前は体調を崩していて、5月のボストン交響楽団との来日公演は実現せず指揮者が交代した。しかし昨年春にミュンヘンフィルと来日したし、精力的な活動スケジュールは衰えを感じさせなかった。ボクが最後に実演に接したのは2007年、西宮の芸術文化センターでのトスカニーニ交響楽団公演。その前年に同じホールでニューヨークフィルとのコンビを聴いていたのでこの2年連続が最後となった。その後はNHK交響楽団に客演したのをテレビで観たし、昨年春のミュンヘンフィルも無理をすれば聴きに行けたが、プログラムに惹かれるものがなく行かなかったのだ。
と言うのも、実は老齢に達したマゼールに「新しさ」或いは「円熟」を期待することが無いからでもある。大家と呼ばれる指揮者や演奏者でも、多くは晩年には円熟の極みに達し、神懸かった演奏を連発することがあるが、マゼールに関しては、既にと言うか常にと言うか「完成」されており、常に表す音楽の次元が高く、それ以上の期待が持てない気が何となくするのである。
2006年にニューヨークフィルの演奏に触れたとき、楽団を上手くドライブしていたのが印象的だった。
マゼールは自分のタクトに従わざるを得ないように絶妙な指揮をする人で、スコアに書いてある音を全て振っているかのようなバトンテクニックは、オーケストラ側に曖昧なズレやミスを許さない。それは各楽器に的確に「キュー」を出すというありがちなレベルではなく、彼の一挙一動が完璧な「音楽」なのだ。つまり、彼の指揮が完全にスコアを見通しており、観客は彼の指揮を見つめているだけで音楽が理解出来るといってもよい。若い頃は特にそれが色濃く、どんなオーケストラでも彼の思い描く音楽が完璧に表れ出る感じだった。他の指揮者がやるととても大変そうに見える難曲でも、マゼールの指揮で聴くととてもわかりやすく交通整理され、曲の構成が具になり、複雑さはむしろ意味深く味わいを醸し出す。それをいとも簡単に実現する爽快感は驚きと感動以外生まない。
世界の名だたるオーケストラの指揮者を歴任してきたが、何処でも長くその地位に留まらないのは、他の指揮者が10数年かかるところを、数年でゴールに行き着くからではないかと思う。
高齢で今さらながら名門オーケストラの音楽監督に就任したという意味もあるのだろう。ニューヨークフィルとの演奏は、それまでより2、3歩控えた感じで、よく言えば「大人な」スタイル。悪く言えば「毒気が抜けた」感じがした。もちろん演奏の要はブレないが、高級車を余裕でドライブしている感じ、、、。以前のように、中古車だろうが、1600ccだろうが超高級車であろうが、常に最速タイムを叩き出すような「凄み」を感じることはもはや無くなっていた。まあ、年齢も年齢。当然と言えば当然か、、、(笑)。


ボクが初めて彼の実演を体感したのは1978年。
大阪フェスティバルホールでのクリーブランド管弦楽団公演。
プログラムは
キューバ序曲(ガーシュイン)
展覧会の絵(ラヴェル版)
交響曲第6番「悲愴」(チャイコフスキー)

一曲目から度肝を抜かれたのは言うまでも無いが、ここでアクシデント(笑)。
二曲目を振るために出て来たマゼールは、観客にお辞儀してオーケストラに向き直ると、低弦(チェロ、コントラバス)に向かって指揮棒を構えたのだ。しかし二曲目「展覧会の絵」の冒頭はトランペットのソロ。明らかにチャイコフスキーを振ろうと勘違いしている。いつまでたってもチェロ奏者たちは弓を構えず、それでも指揮者が気づかないので、トップ奏者が控えめながら首を小刻みに横に振って気付かせようとする。けっこう時間がかかったが、ようやく気付いたマゼール。慌てることなく、即座にトランペットに向かって指揮棒を大きく振り上げ曲が始まった。「展覧会の絵」が圧倒的名演だったことは言うまでも無い(笑)。

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当時48歳。見かけはこんなだった。

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その後、東京に居を移したボクは「追っかけ」よろしく、来日する度ほとんどの公演に足を運んだ。82年、クリーブランド管との再来日とフランス国立管弦楽団との圧巻「幻想交響曲」! その後ウィーンフィル、バイエルン放送響と何度か来日。

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何せ、10歳で指揮者デビューしてアメリカの主要オーケストラに客演した「神童」だった人。驚異的な記憶力でスコアはどんな難解なものでも完全暗譜。だから「音を全て振る」指揮が出来た。

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ヴァイオリン奏者としても「天才」だった。



天才だけに、若き日々から晩年まで録音の数も膨大。
ただ、やはりレコードより「ライヴ」の人。
「実演に触れなければ彼のスゴさはわからないよ」と言い続け、マゼールファンを少しは増やせたかな?(笑)

あえて大好きなレコードを挙げるなら何と言ってもこれ。

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これ以上の「幻想交響曲」を聴いたことがない。
オーケストラは違うがフランス国立管弦楽団との演奏は未だに耳に響き続ける。

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そして「遺作」となったフィルハーモニア管との「マーラーサイクル」ライヴCD。
1番から6番までが届いた。
どんな演奏なのかは予測がつくが(笑)、在りし日のマエストロを思い浮かべながらじっくりと聴こうと思う。



素晴らしい体験をありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈り致します。







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【2014/07/22 13:23】 音楽 | track back(0) | comment(0) |

list 連休なので、、、(2)

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連休も今日が最終日。長い休みだったね、、、(笑)。

そもそもこの交響曲「第9番」の完成はマーラーが亡くなる2年前1909年。彼は指揮者でもあったので、作曲にはまとまった休暇を充てることが多かった。この曲も夏2ヶ月で完成させている。それまでは実演を繰り返す度に演奏効果等を自分の耳で聴いて、細かく楽譜の修正を行うことが多かったが、この曲は彼が書き上げた交響曲で唯一本人の生前に演奏されずに終わった曲である。曲に不完全な部分を指摘する向きがあるのはそれらの理由から。初演は死の翌年、盟友ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルで行われた。
彼は50歳という若さでこの世を去ったのだが、40歳からの10年間は激動の人生だった。40歳を過ぎて18歳下の才色兼備アルマに魅せられ猛アタックの末に結婚。初婚である。音楽家としての名声も熟し、二児を儲けるも幸せな日々は束の間。長女を病気で亡くし自身も心臓を患うことに、、。やがて妻との関係も冷え、不仲に、、、まさに波乱万丈の10年間。この曲に向かうとき彼の中に死への予感が忍び寄っていたことは確かだろう。その上、ベートーヴェンを意識して「9番」が最後の作品という思いもあったのかもしれない。演奏する側も聴く側もそれを意識して、この曲ではつい「生と死」を語ろうとしてしまう。以前に書いたが、終楽章の最後は弦楽器だけの消えゆくようなPPPP、、、その上「死に絶えるように」と書き込まれていることから、過剰に深読みしてしまう傾向にもあるようだ。まあ、それは演奏する側より聴く側の心情の問題。それは自由で構わない。


さて、、、
バーンスタインは世紀を代表する指揮者でありながらベルリンフィルの指揮台に立ったのは唯一度だけ。そのライブ録音は後年レコード(CD)になって世に出たのだが、それがこれ。

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こんな大指揮者がベルリンに呼ばれなかった本当の理由はわからない。唯、この時ベルリンはカラヤンが君臨していたワケで、指揮台に立つ指揮者は彼が選んでいたことを考えるとカラヤンが避けていたと解釈されても仕方ない。この辺りが「カラヤンはバーンスタインを目の敵にしていた」とまで巷間語れるようになった原因だろう。
でもなぜ唯一度ベルリンフィルを指揮できたのか。それはベルリン芸術週間というイベントで、さる団体がベルリンフィルを丸ごと雇ってバーンスタインに指揮させる格好をとったからと言われる。流石にここまではカラヤンのチカラが及ばなかったようだ(笑)。

1979年10月4日、5日の2日、フィルハーモニーザールで行われた演奏会。
演目はマーラーの9番。

しかし、バーンスタイン得意の演目でもすんなり行くわけがなかった。有形無形の妨害工作を受けたとも言われているが真実はわからない。しかし楽団側から提示されたリハーサル時間はタイトで、バーンスタイン側は事前に延長を要求。初対面の楽団で、しかもベルリンフィルにとっては16年振りに取り上げる超難曲ということへの懸念もあっただろう。いざリハーサルが始まるとオーケストラの反応は冷たく、バーンスタインはその時の感想を「まるで不感症の女を抱いているようだった」と語っている。世界一優秀なオーケストラが何故?とも思うが、バーンスタインはこの時オーケストラの素晴らしさも讃えているところをみると、きっとカラヤンの「クセ」が隅々まで染み渡ったこのオーケストラの「カラヤン臭さ」を払拭することに苦慮したのではないか。そして、オケ側もカラヤンへの忠誠心なのか後のしっぺ返しが怖かったのか、終始及び腰だったのではなかろうか。お互い相反するベクトルは微妙にズレたままリハーサルは遅々として進まず、時間を延長してもまともに出来たのは1、2楽章だけで3、4楽章はほぼぶっつけ本番だったという証言もある。(練習終了をしつこく告げられ、業を煮やしたバーンスタインは楽譜を叩きつけたらしい)
本番の様子は、このライヴ録音で感じるしかないが、確かに前半2楽章と後の2楽章では完成度がまるで違う。第3楽章は冒頭からつまずき加減で、それぞれの楽器は奏でるフレーズに終始確信が感じられず、半信半疑、おっかなびっくりという感じ。途中リズムが乱れ、アインザッツもバラバラ。そのまま終楽章になだれ込むもアンサンブルの乱れは修復されず、曲のチカラだけで成り立ってる感じ。ついにはクライマックスの部分でトロンボーンが出所を見失い全く抜け落ちるという事故まで誘発してしまう。しかしその緊迫感だけはハンパではなく、尋常じゃない空気感がヒシヒシと伝わり、それはそれで稀少価値がある。が、まあ悪く言えばボロボロ(笑)。バーンスタインの熱意に絆されて徐々にオーケストラが本気を出して来るのは伝わるが、如何せん練習不足が祟った感じ。2日の公演だったのだから次の日の演奏も収録されただろうにと思いきや、どうも初日しか収録していないという噂。これも誰かの差し金か?
オーケストラ側にとってはやはりプロとして恥ずべきものがあったのか、この録音をレコードにせぬようカラヤンに署名嘆願したというのは事実。カラヤンにとっては好都合だったか?(笑)しかしカラヤンの死後グラモフォンがちゃっかり「一期一会の歴史的名演」と銘打って発売した。この演奏には現在も賛否真っ二つという評価だ。

さあ、話はここから(笑)。

実はカラヤンが密かにしたたかさを見せる。このライヴが行われることを見越してか、何と翌月に自身によるこの曲のレコーディングを予定させていたのだ。演奏はバーンスタインとの「練習」の甲斐もあって(笑)実に整然として完璧な仕上がり。しかしカラヤン・ベルリンフィルの黄金コンビとしては面白味も何もなく、妙に真面目腐ったもの(笑)になっている。しかしここで終わらないのが帝王の帝王たる所以。3年後、バーンスタインと同じ「ベルリン芸術週間」でこの曲を取り上げ、彼にしては異例のライヴ録音を敢行する。

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周到なセッション録音から3年かけて黄金コンビはこの曲の熟成を重ね、しかもバーンスタインの向こうを張って、自身は大嫌いなライヴ録音でとどめを刺す。そこまでやるか?とも呆れるが、帝王カラヤンしてやったりの図だ(笑)。帝王とまで呼ばれた男の女々しい嫉妬心なのか、更なる功名心なのか、作戦通りの復讐劇はこのコンビに相応しい素晴らしい演奏を生み出すことに成功し完結した。「倍返し」して気が済んだのか(笑)、カラヤンはこれを最後にそれ以降この曲を演奏することはなかった、とさ。
帝王と呼ばれた男、、、ボクは大嫌いだけどね(笑)。

カラヤンとバーンスタイン。
いろいろ取り沙汰されているが、色々な証言や記録を見る限り「不仲」というのは当てはまらないのではないか。晩年、陰では友好的だったとも伝えられる。ただ、バーンスタインよりカラヤンの方が意識していた時間が長かったのは確かかもしれない。それは、君臨する帝王が唯一脅威に感じていたライバルという証でもある。ライバルの存在が互いの才能をより開花させる例は多いが、このマーラーに関してはカラヤンはバーンスタインに感謝すべきだろう。


この一連の騒動に関心がある方は「カラヤン バーンスタイン マーラー9番」とでもググってみるとよい。色々な方々が色々語っておられることがイタいほどわかる(笑)。こぼれ話の中で救われるのは、人気の大指揮者を初めて迎えるにあたり、管楽器奏者たちは色めき、本番への出演奏者を巡って争いにもなったとか、、、。当時はフルートがツェラー、オーボエはコッホ、クラリネットがライスター、ファゴットのピースク、ホルンはザイフェルト、トランペットはクレッツァーという時代の名手が名を連ねていた。クラリネットのライスターは退団後、ベルリンフィル時代の一番の衝撃としてバーンスタインとのマーラー体験を挙げている。



さあ、午後からもう一度、バーンスタインを聴いてみようかな、、、。







【2014/05/06 11:24】 音楽 | track back(0) | comment(0) |

list 連休なので、、、(1)

また音楽の話に戻る(笑)。

今年に入って、マーラーの9番しか聴いてないような有り様だが(笑)、この曲の演奏を語る上でどうしても避けて通れない二人の指揮者がいる。既に二人とも亡くなっているが時代を代表する偉大な二人だ。

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ヘルベルト・フォン・カラヤン     レナード・バーンスタイン
        (1908-1989)           (1918-1990)

カラヤンはベルリンフィルの終身指揮者、ウィーン国立歌劇場芸術監督、ザルツブルグ音楽祭の芸術監督として名実共にヨーロッパに君臨した「帝王」だ。中でもベルリンフィルとの関係は34年も続き、その関係はある意味「君主と手兵」であり、今時の「共に創り上げる」スタイルではなく前時代的な「絶対主義」にも通じるものだったと言っていいだろう。「カラヤンのオーケストラ」としてのベルリンフィルの歴史がそこにある。
自分の「見せ方」に徹底的にこだわり、例えば対外的な写真はどんな小さな物でも、特定のカメラマンが撮り自らが許可した物しか使わせなかった。格好にこだわるスタイルはオーケストラの前でも同じで、目をつぶって瞑想するような指揮ぶりはまるでオーケストラを催眠術にでもかけるようだと評された。
ボクは二度実演に立ち会ったことがあり、一度は早稲田大学のオーケストラを相手に、R.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」を練習する場面だったが、冒頭の部分を何度かやり直しさせている内に、それこそ催眠術にかかったように、ワセオケの奏でる音が甘く耽美なカラヤンサウンドに変化していったのには流石に驚いた。日を改めたベルリンフィルとの公演では、舞台照明が尋常ではなく、強い照明が全て斜め横から当たるように仕込まれていてまた驚いた。自分がよりカッコ良く見える演出だったのだろうが、こんな照明は後にも先にもカラヤンだけだ(笑)。演奏の録音にはライヴ録音を嫌い、音質、音響を徹底したセッション録音。録音後も充分な時間をかけて検証し、納得いくまで発売を許可しなかった。
しかしそれは、けっして音楽至上主義という訳ではない、商業主義だ、との評価からアンチ・カラヤン派も存在するのである(笑)。
まあ、そういう自己演出も含めて、ショーマンとしての才能は天才的で、ファンの拡大、レコードやチケットのセールス等々、地味なクラシック業界においては驚異的な人気を誇り、その存在感は良くも悪くも当代随一の「花形」だったことの証明でもあろう。

バーンスタインはよくご存知のように作曲家でもあった。名作「ウェストサイド物語」の音楽は知らぬ人はいないだろう。アメリカ人指揮者として初めてニューヨークフィルの音楽監督に就任し、若い世代にクラシック音楽を広める活動にも熱心で、その親しみやすい人柄もあり絶大の人気を博した。指揮台での彼はカラヤンとは正反対で、跳んだり跳ねたりオーバーアクションでオーケストラを鼓舞するスタイル。愛弟子であった佐渡裕や大植英次の指揮ぶりを見れば「技」は受け継がれている(笑)。
熟年〜晩年にはヨーロッパをも股に掛け、各地で歴史的名演を繰り広げた。古典はもちろんだが、自身がユダヤ系ということもあり同じくユダヤ系のマーラーを得意とし、その演奏は感情剥き出しで「魂の叫び」とまで評される。現在、マーラーの楽曲が演奏会のプログラムで珍しくなくなったのは彼の功績も大きいと思う。残念ながらボク自身、彼の実演には一度も触れずに終わった。実に悔やまれるところだ。

二人とも親日家であり日本人の弟子も多い。
小澤征爾はこの二人ともに師事した貴重な存在でもある。

この二人、歳こそ10歳違いだが、この二人を巡っては虚々実々、様々なエピソードが残る。
それは次回、、、。





【2014/05/03 15:13】 音楽 | track back(0) | comment(0) |

list 一を聞いて十を知る

予告通りジョナサン・ノットを聴いてきた。

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プログラムは、武満徹の「セレモニアル -秋の歌-」とマーラーの「第9」
ミューザ川崎とサントリーホールの2公演の内、2日目のサントリーホール。
前日の川崎公演。ツイッター等の評判では先月のインバルと比べる人も多く、また金管楽器のミスも目立ったのか評価が分かれていたが、概ね賞賛の様子。ノットの存在をまだ知らぬ人達にとっては驚いて当然(笑)。
既にパンベルク響との名演奏を十分堪能している者にとっては、短期間の練習でマーラー屈指の難曲を何処まで完成度を高められるか、指揮者の手腕とオーケストラの力量ガップリ四つの名演奏を望むまで。

最初の曲は10分足らずの小品。武満徹がサイトウキネンフェスティバルのオープニングのために書いた曲で宮田まゆみさんの「笙」をフィーチャリングしたもの。実は彼女とは数十年前、現代音楽のステマネをしていた頃何度かお目にかかったことがある。多分ボクと同世代かな?雰囲気のある美人!
「笙」という楽器はとにかくデリケートで、舞台袖でギリギリまで携帯用のアンカで楽器を温めておられたのが強く印象に残っている。この曲も、繊細な響きを求める武満ワールドが実に色濃い作品で、客席側3箇所にフルートとオーボエが配置され、このあと演奏される「9番」にはバンダ(舞台以外で演奏する)はないものの、会場の音響効果を演出に取り入れた先駆者マーラーへのオマージュの意味もあったのかな、と指揮者の意図を理解した。初めて見るノットの指揮は、創り出す音楽同様メロディアスでソフトな印象。指揮者としての立ち姿が颯爽としていて、各楽器に出すキューもスマート。何度も言うが指揮者はある意味人気商売。堂々の風格は十分。マスクも抜群(笑)。

で、マーラー。
冒頭からゆったりとしたテンポで、端正なアンサンブルに集中させる。全てのフレーズに意味を持たせ、丹念に「歌わせる」ことを徹底させる。それは自ずと曲の必然的構造を露わにさせることに繋がり、弾く側吹く側にとって、難解に思える曲を確信を持ってアプローチさせられるんだな、と強く印象づけた第1楽章だった。この楽章だけで、聴いている方はこの指揮者の能力の高さを十分感じたはずだ(笑)。続く楽章も、楽譜上の目まぐるしく変化する細かい強弱記号をおざなりにせず、ディティールにとことんこだわり、デュナーミクの幅も広く表情がとても豊か。まさにこれがノットの音楽だと強く提示、そしてそれを見事に結実させた終楽章。力でねじ伏せる荒っぽさは微塵もなく、段階的に丁寧に美しく絶頂を迎え、音楽美に溢れるまま静かに消え果てた。

ノットの解釈はバンベルク響の演奏とほぼ同じ。多少アインザッツ(出出しの部分が揃うこと)の乱れや金管楽器等のミスはあったものの、この短期間でノットの意図する音楽をここまで表現し切ったオーケストラには大拍手。特に木管楽器のアンサンブルはお見事。東京のオーケストラ恐るべしだ。今後益々両者のコミュニケーションが良くなることを思えば、最初にこの超難関「9番」に成功したことは大きい。あとは怖いものなしだろう(笑)。それも当然のことながら新音楽監督の作戦と思う。
しかし、それに引き替えお客の質が良くない。他に演奏会がひしめく東京だし、ノットの知名度もまだ低いのか客席にはやたら空席が目立ったのも残念だ。お客の平均年齢は圧倒的に高く、そのせいもあるのか遠慮も配慮もない咳払い、各種雑音、、、都響の時同様マナーは最悪。「いったい貴方はここに何を聴きに来てるのか?」と首根っこ捕まえて問い糾したいくらいだ。
でも、この一回の演奏会を聴いただけで、これから始まるノットとの新時代がこのオーケストラにとって歴史的時代になることを強烈に予感した方々も少なくないはずだ。聴く側のレベルアップも含めてノットと東響のコンビの新しい成果に大いなる期待を寄せたいと思う。

次のマーラーは年末に「8番」を取り上げるというウワサ、、、。
9番から逆に下ってくるチクルスの予定なら、何としても今度は全曲体験したい!(笑)。




【2014/04/22 14:02】 音楽 | track back(0) | comment(0) |

list 出会いの季節らしく、、、

横浜、東京の演奏会からまだ1週間。ボクの頭の中には今でもあのマーラーが鳴り響いていて、興奮から未だに覚めやらぬ。特にあのジェットコースターの如き第3楽章!(笑)

と、そんな中、来月聴くジョナサン・ノット。手兵バンベルク響と録った「9番」のCDがようやく届いた。
このコンビも既にマーラー全曲収録、発売も終えているのだが、何せ今回海外からの取り寄せとなったため不定期にバラバラで届く。今回ようやく「7番」と「9番」が来て、後は「1番」を待つのみとなった(笑)。最初に聴いた「3番」で度肝を抜かれたので、後続も全て好印象。今回届いた2曲も特に素晴らしく「1番」を待たずとも彼の首尾一貫したマーラー像がクッキリと伝わっている。

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ライヴでもCDでも、演奏の良し悪しのモノサシは概ね下記の4つ。

1.指揮者の創りたい音楽像がはっきりしていて、オケの表現力や機能が高水準でそれに応えている。
2.指揮者の創りたいものはわかるが、オケの力量が足りない。
3.オケは素晴らしいが、指揮者の創りたい音楽像が見えない。
4.指揮者も低水準でオケもチカラ不足。

「2」の、オケの力量不足は程度の問題。程度によっては名演もある。
実は「3」が一番多いのではなかろうか(笑)。世界の名門オーケストラはたいてい指揮者ナシでも相当の名演奏が出来る、ということでもあり、最悪、指揮者がダメダメでも自分たちのプライドに懸けて一定レベルの演奏は死守するってコトでもある。

この、バンベルク交響楽団とノットのディスクは堂々「1」だ。ノットの創造力は比類無いが、驚くのはオーケストラの機能の高さ。ドイツの片田舎のヤボったい楽団のイメージしかなかったのに驚くべき高水準、高能力!2000年からノットがこのオケを率いるようになったらしいが、レベル向上は彼の手腕に因ることが大きいのではないか、、、。
少し調べてみると、ドイツ・バイエルン地方のバンベルク市は人口7万人の小さな地方都市。豊岡市が現在約8万人だから、何と豊岡より小規模な街にこんな世界水準の大オーケストラがあるということだ(笑)。オーケストラの歴史は比較的に浅く70年余り。歴代名指揮者を迎え堅実に活動しているが、ドイツ国内には世界的名門が多く、どうしてもその陰に隠れて地味なイメージしかなかったのは事実。ノットの前任がホルスト・シュタインだったことを思えば、気鋭のノットを迎え14年を経て今に至り、オーケストラが意欲的に再生されていると考えて間違いなさそうだ。2004年から3年ごとに「グスタフ・マーラー指揮者コンクール」をこのオケ主催で開催するようになったのも彼流の変革の一片だろう。(因みに第1回の優勝者は、今をときめくあのグスターボ・ドゥダメル!)

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1993年に新設されたモダンなコンサートホールは、かつてこのオーケストラを育てた名指揮者「ヨゼフ・カイベルト」の名が冠され、現在この楽団の本拠地である。2008年には改築も施され、音響設計が改善されたらしい。それを手がけたのは、サントリーホールを始め数多くのホール音響設計に実績を持つ、永田音響設計の豊田泰久氏。日本とは縁が深いんだな。

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全くの偶然だが、この「9番」の収録は、改修後初のセッション録音だったとか。その時の写真が楽団のHPに紹介されている。
どことなくサントリーホールに似ている(笑)。


来シーズン(9月〜)から東京交響楽団の音楽監督に就任することになったジョナサン・ノット。引き続きバンベルク交響楽団の主席指揮者のポストもあり「兼務」となる訳だが、2つの楽団の成熟から目が離せない。
まずは、何度も言っているように、来月の就任披露特別公演だ。




円熟インバルの「9番」の興奮冷めやらぬサントリーホールに、同じ「9番」がどう響くか。サクラ咲く季節が、新たな出会いを予感させる。





【2014/03/24 03:27】 音楽 | track back(0) | comment(0) |
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