今回来日したマゼール・NYフィルは、9日間の滞在日程で7公演(東京5、大分、兵庫各1)、そしてプログラムが6種類17曲というアグレッシブさだった。来日オーケストラ公演は、せいぜい5〜6曲を組み合わせてプログラムを組むのが一般的だから異例ともいえる。まあ、それが「マゼール・NYフィル」ならではの離れワザなんだろうが、一流シェフの一流素材を使った「日替わりディナー」を味わえる機会に恵まれた東京のファンが羨ましい。
我々が聴いたドボルザーク、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチのプログラムには、それなりの「意味」を読みとった。160余年の歴史を持つニューヨークフィルとドボルザーク(1841-1904)との関係は浅からぬものがあり「新世界」交響曲を初演したのはこのオーケストラ。東側つながりで旧ソ連を代表する20世紀の作曲家、ストラヴィンスキー(1882-1971)とショスタコーヴィチ(1906-1975)。ほぼ同世代に生きた2人だが、途中亡命し祖国を出て「カメレオン」とよばれるほど多彩で自由な作風を追い続けたストラヴィンスキーと、「苦悩の作曲家」と呼ばれ、スターリン体制下、当局の厳しい統制により、批判と賞賛の繰り返しに振り回されながらも意欲的に創作をつづけ生涯祖国に留まったショスタコーヴィチは好対照である。
特に今回の「交響曲第5番」は、直前の作品で「体制への反逆者」のレッテルを貼られるほど叩かれていた彼が、名誉回復のために一発逆転を狙って書き上げた曲。単純明快な構成、勇壮で親しみの湧く曲想、そして折しも革命20周年の年に初演されたため、当局にもウケて見事に汚名を返上することとなった。「革命」と副題がつけられることがあるのはこのためで、作曲者が付けた正式な表題ではない。
汚名をそそぐために苦悩したこの作品で、作者が本当は何を表現したかったのか未だ不明とされる。演奏も「暗い」解釈もあれば「あっけらかん」とした外見重視のものまで様々ある。
ボクのこの曲の初体験は中学生の時。この曲の初演者でもあるムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルのレコード。そして丁度来日した、同じ演奏者の公演をテレビで見た感動は今でも忘れられない。第3楽章のむせび泣くようなフルートのソロ、、、女性奏者だったが、これが巨匠ムラヴィンスキーの奥方と後に知った。強烈なビブラートをかけるホルンや第一、第二ヴァイオリンが左右に分かれるセッティングなど当時のボクには新鮮なことばかりだった。
ニューヨークフィルがバーンスタイン時代にモスクワでこの曲を演奏した時、客席に居たショスタコーヴィチがあまりの感激にステージに駆け上がったことは有名だ。後に発売されたバーンスタインのレコードを聴いてちょっと意外だった。例のムラヴィンスキーとはまったく性格の違う演奏だったからだ。きっと作者の「苦悩」が、一方向ではない永遠に表現し得ない複雑かつ広大なものを孕むからだろう。
そこで今回のマゼール。
作品に対して客観姿勢は崩さないが、オーケストラが瞬間瞬間に生み出す音を無理に規制せず、むしろ開放感を持たせることで楽譜への忠誠を貫いた。そのことが逆に作者の意図する音楽を純粋に露わにすることになった実に素晴らしい演奏。圧巻だった。
ソ連崩壊を見ずに亡くなったショスタコーヴィチ。客席に本人がいたらステージに駆け上がったことだろう。
ショスタコーヴィチ「生誕100年」を飾るいいプログラムだった。

D.Shostakovich
(1906 - 1975)