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list 連休なので、、、(2)

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連休も今日が最終日。長い休みだったね、、、(笑)。

そもそもこの交響曲「第9番」の完成はマーラーが亡くなる2年前1909年。彼は指揮者でもあったので、作曲にはまとまった休暇を充てることが多かった。この曲も夏2ヶ月で完成させている。それまでは実演を繰り返す度に演奏効果等を自分の耳で聴いて、細かく楽譜の修正を行うことが多かったが、この曲は彼が書き上げた交響曲で唯一本人の生前に演奏されずに終わった曲である。曲に不完全な部分を指摘する向きがあるのはそれらの理由から。初演は死の翌年、盟友ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルで行われた。
彼は50歳という若さでこの世を去ったのだが、40歳からの10年間は激動の人生だった。40歳を過ぎて18歳下の才色兼備アルマに魅せられ猛アタックの末に結婚。初婚である。音楽家としての名声も熟し、二児を儲けるも幸せな日々は束の間。長女を病気で亡くし自身も心臓を患うことに、、。やがて妻との関係も冷え、不仲に、、、まさに波乱万丈の10年間。この曲に向かうとき彼の中に死への予感が忍び寄っていたことは確かだろう。その上、ベートーヴェンを意識して「9番」が最後の作品という思いもあったのかもしれない。演奏する側も聴く側もそれを意識して、この曲ではつい「生と死」を語ろうとしてしまう。以前に書いたが、終楽章の最後は弦楽器だけの消えゆくようなPPPP、、、その上「死に絶えるように」と書き込まれていることから、過剰に深読みしてしまう傾向にもあるようだ。まあ、それは演奏する側より聴く側の心情の問題。それは自由で構わない。


さて、、、
バーンスタインは世紀を代表する指揮者でありながらベルリンフィルの指揮台に立ったのは唯一度だけ。そのライブ録音は後年レコード(CD)になって世に出たのだが、それがこれ。

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こんな大指揮者がベルリンに呼ばれなかった本当の理由はわからない。唯、この時ベルリンはカラヤンが君臨していたワケで、指揮台に立つ指揮者は彼が選んでいたことを考えるとカラヤンが避けていたと解釈されても仕方ない。この辺りが「カラヤンはバーンスタインを目の敵にしていた」とまで巷間語れるようになった原因だろう。
でもなぜ唯一度ベルリンフィルを指揮できたのか。それはベルリン芸術週間というイベントで、さる団体がベルリンフィルを丸ごと雇ってバーンスタインに指揮させる格好をとったからと言われる。流石にここまではカラヤンのチカラが及ばなかったようだ(笑)。

1979年10月4日、5日の2日、フィルハーモニーザールで行われた演奏会。
演目はマーラーの9番。

しかし、バーンスタイン得意の演目でもすんなり行くわけがなかった。有形無形の妨害工作を受けたとも言われているが真実はわからない。しかし楽団側から提示されたリハーサル時間はタイトで、バーンスタイン側は事前に延長を要求。初対面の楽団で、しかもベルリンフィルにとっては16年振りに取り上げる超難曲ということへの懸念もあっただろう。いざリハーサルが始まるとオーケストラの反応は冷たく、バーンスタインはその時の感想を「まるで不感症の女を抱いているようだった」と語っている。世界一優秀なオーケストラが何故?とも思うが、バーンスタインはこの時オーケストラの素晴らしさも讃えているところをみると、きっとカラヤンの「クセ」が隅々まで染み渡ったこのオーケストラの「カラヤン臭さ」を払拭することに苦慮したのではないか。そして、オケ側もカラヤンへの忠誠心なのか後のしっぺ返しが怖かったのか、終始及び腰だったのではなかろうか。お互い相反するベクトルは微妙にズレたままリハーサルは遅々として進まず、時間を延長してもまともに出来たのは1、2楽章だけで3、4楽章はほぼぶっつけ本番だったという証言もある。(練習終了をしつこく告げられ、業を煮やしたバーンスタインは楽譜を叩きつけたらしい)
本番の様子は、このライヴ録音で感じるしかないが、確かに前半2楽章と後の2楽章では完成度がまるで違う。第3楽章は冒頭からつまずき加減で、それぞれの楽器は奏でるフレーズに終始確信が感じられず、半信半疑、おっかなびっくりという感じ。途中リズムが乱れ、アインザッツもバラバラ。そのまま終楽章になだれ込むもアンサンブルの乱れは修復されず、曲のチカラだけで成り立ってる感じ。ついにはクライマックスの部分でトロンボーンが出所を見失い全く抜け落ちるという事故まで誘発してしまう。しかしその緊迫感だけはハンパではなく、尋常じゃない空気感がヒシヒシと伝わり、それはそれで稀少価値がある。が、まあ悪く言えばボロボロ(笑)。バーンスタインの熱意に絆されて徐々にオーケストラが本気を出して来るのは伝わるが、如何せん練習不足が祟った感じ。2日の公演だったのだから次の日の演奏も収録されただろうにと思いきや、どうも初日しか収録していないという噂。これも誰かの差し金か?
オーケストラ側にとってはやはりプロとして恥ずべきものがあったのか、この録音をレコードにせぬようカラヤンに署名嘆願したというのは事実。カラヤンにとっては好都合だったか?(笑)しかしカラヤンの死後グラモフォンがちゃっかり「一期一会の歴史的名演」と銘打って発売した。この演奏には現在も賛否真っ二つという評価だ。

さあ、話はここから(笑)。

実はカラヤンが密かにしたたかさを見せる。このライヴが行われることを見越してか、何と翌月に自身によるこの曲のレコーディングを予定させていたのだ。演奏はバーンスタインとの「練習」の甲斐もあって(笑)実に整然として完璧な仕上がり。しかしカラヤン・ベルリンフィルの黄金コンビとしては面白味も何もなく、妙に真面目腐ったもの(笑)になっている。しかしここで終わらないのが帝王の帝王たる所以。3年後、バーンスタインと同じ「ベルリン芸術週間」でこの曲を取り上げ、彼にしては異例のライヴ録音を敢行する。

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周到なセッション録音から3年かけて黄金コンビはこの曲の熟成を重ね、しかもバーンスタインの向こうを張って、自身は大嫌いなライヴ録音でとどめを刺す。そこまでやるか?とも呆れるが、帝王カラヤンしてやったりの図だ(笑)。帝王とまで呼ばれた男の女々しい嫉妬心なのか、更なる功名心なのか、作戦通りの復讐劇はこのコンビに相応しい素晴らしい演奏を生み出すことに成功し完結した。「倍返し」して気が済んだのか(笑)、カラヤンはこれを最後にそれ以降この曲を演奏することはなかった、とさ。
帝王と呼ばれた男、、、ボクは大嫌いだけどね(笑)。

カラヤンとバーンスタイン。
いろいろ取り沙汰されているが、色々な証言や記録を見る限り「不仲」というのは当てはまらないのではないか。晩年、陰では友好的だったとも伝えられる。ただ、バーンスタインよりカラヤンの方が意識していた時間が長かったのは確かかもしれない。それは、君臨する帝王が唯一脅威に感じていたライバルという証でもある。ライバルの存在が互いの才能をより開花させる例は多いが、このマーラーに関してはカラヤンはバーンスタインに感謝すべきだろう。


この一連の騒動に関心がある方は「カラヤン バーンスタイン マーラー9番」とでもググってみるとよい。色々な方々が色々語っておられることがイタいほどわかる(笑)。こぼれ話の中で救われるのは、人気の大指揮者を初めて迎えるにあたり、管楽器奏者たちは色めき、本番への出演奏者を巡って争いにもなったとか、、、。当時はフルートがツェラー、オーボエはコッホ、クラリネットがライスター、ファゴットのピースク、ホルンはザイフェルト、トランペットはクレッツァーという時代の名手が名を連ねていた。クラリネットのライスターは退団後、ベルリンフィル時代の一番の衝撃としてバーンスタインとのマーラー体験を挙げている。



さあ、午後からもう一度、バーンスタインを聴いてみようかな、、、。







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【2014/05/06 11:24】 音楽 | track back(0) | comment(0) |
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